Our Philosophy
日本とベトナムは、ともに米が主食の食文化。
ともに調味料といえば「醬」。
日本は醤油で、ベトナムは魚醤(ヌクマム)。
縦に長い国同士、四季にも恵まれ、地域ごとの郷土料理を敬う文化もある。
そして、長い歴史の中で、異国の食文化を受け入れて発展したベトナム料理は、ダイバーシティの考え方を私たちに教えてくれる。
日本ベトナム料理協会は、そんなベトナム料理の魅力を
より多くの人に伝え、日本とベトナムの架け橋になりたいと考えて設立しました。
日本の家庭や地域におけるベトナム料理の文化、調理技術の普及、また、志を同じくする調理人の人材育成、ベトナム料理ファンのつながりを深めることを目的とします。
日本と近いアジア圏の一つであるベトナムの食文化は、野菜中心の食事、魚や肉の旨味、深みを感じること、季節の新鮮な素材の味を生かした料理の大切さを教えてくれます。
当協会では、ベトナム料理の基礎や文化を広めるセミナー、執筆等の普及活動を通じて、四季折々の食材を味わう人の心を育て、そのようなコミュニティを広げていきます。
また、ベトナム料理を愛する人々が活躍していけるような支援活動を含め、協会の趣旨に賛同いただける方々とコミュニティを広げ、様々な情報提供や情報共有の場を設け、ベトナム料理を広く普及し、共に発展していきたいと考えています。
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一般社団法人 日本ベトナム料理協会
令和4年11月1日
106-0031 東京都港区西麻布4-4-12-2F (Google map)
info [at] nuocmam.jp ※ [at]を「@」に置き換えてメールを送信してください
代表理事
1999年、ベトナムに2年間滞在し、現地の料理研究家やシェフなどから、ベトナムの家庭料理を学ぶ。2003年に帰国後、東京・西麻布にベトナム料理レストランをオープン。底知れぬベトナム愛から、「一家に一本ヌクマムを」の思いを掲げ、家庭料理を基本に、 野菜やハーブをたっぷりと使った独自のアレンジを加えながら、香りと食感の楽しめるベトナム料理を提案し続けている。
理事
衣食住の暮らしまわり、カルチャーを専門とする編集者。 鈴木珠美のベトナム愛に影響を受け、水のようにヌクマムを体に染み渡らせることができないかと、修行中。
ベトナムは世界でも指折りの米の輸出国。南部にはメコンデルタ、北部には紅河デルタと肥沃な米の産地が南北にあり、ベトナムの人は自国を米で満ちた2つの天秤棒にたとえます。
栽培されている米はいずれもインディカ米で、うるち米やもち米もあり、白米のほか、黒米、赤米、青米などもあります。中でもベトナム北部ハー ナム省で収穫される「ガオ タム コー ンゴン」と「ガオ タム ソアン」という香り米は、日本でいうところの「コシヒカリ」や「ササニシキ」のようなブランド品種です。日本のお米が品種によって味わいが違うように、これらの香り米も品種によって香りが違います。香り米は、お米の香りを楽しむものなので、香りの強い野菜や調味料、漬物などと一緒には食べません。エビのつくだ煮や一番搾りのヌクマムで炒めた卵などがおかずとしてよくあいます。
今では観光客で賑わう平和な国ベトナムですが、1975年にベトナム戦争が終わり、北から南まで統一したベトナム社会主義共和国としてスタートするまでの道のりは、長く厳しいものでした。
紀元前1世紀頃から千年間におよぶ、中国の支配。その後、独立国となってからも、元寇をはじめとする抗争が繰り返されました。北に中国を見据える一方で、インド文化を吸収した南のチャンパ王国との戦いもありました。
近代に入ってからは、フランスの植民地政策のターゲットに。理不尽な支配への抵抗運動が各地で起こり、独立への戦いにつながっていきました。
そんな歴史の中で、様々な異文化を吸収しながら独自の文化を育ててきベトナム。だからこそ、今日の洗練されたベトナム料理があると言っても過言ではありません。中国やフランスなどの外来の文化の影響を感じる料理にはそんな理由があるのです。
ホーチミン市の西部、5区と6区はチョロンと呼ばれ、華僑の人々が築いた街です。漢字とベトナム語の看板を掲げた個人店が並びます。ベトナム語と一緒に広東語も聞こえてきます。
チョロンの中心部にあるビンタイ市場にはフカヒレやつばめの巣、干し貝柱、干しエビなど中国食材が売られています。小麦粉と鶏卵で作った中華麺(ミー)や、丸鶏から取ったスープで炊いた鶏飯(コム・ガー)などもチョロンの味。こうした食文化は、ベトナム南部の普段の食事にも浸透していきました。
また、特に北部では味噌(中国語の醬に由来)、豆腐などの大豆食品もよく食べます。特に豆腐は精進料理には欠かせません。柔らかい豆腐は生姜味のシロップをかけておやつにします。
かつて植民地支配したフランスが、ベトナムに残していったフランスパン。ベトナム語ではバイン・ミーといい、本国のものに比べて、空気をたくさん含んだ口当たりが特徴です。ベトナムの街ではいたるところにフランスパンのサンドイッチ屋さんが見られます。サンドイッチ以外にも、カリッと上げてクルトンにしたり、砂糖をかけたラスクにしたり。
また、コーヒーもフランス人農園主の指揮によって生産されるようになったもの。フレンチ式に深煎りした豆で、酸味が軽く、濃厚でコクがあるのが特徴。アルミ製のフィルターで一杯ずつドリップするのが独特のスタイル。カップの底にコンデンスミルクを入れたベトナム風カフェオレは病みつきの味です。
フランス仕込みのスイーツもたくさん。一つがプリン(バイン・フラン)。ベトナムでは牛乳ではなくコンンデンスミルクを使うのが特徴で、カラメルはベトナムコーヒーを加えたほろ苦い味。また、ゴーフル型に生地を流し込んで焼いたゴーフル(バイン・ケップ)もフランスの名残。甘いバニラとココナッツミルクの香りが漂います。そのほか、シュークリームやコッペパンの生地をクロワッサンの形に焼いたものなど、柔軟な好奇心を持ってフランスの食文化を受け継いだお菓子がたくさんあります。
ヌクマムとは、魚の塩漬けを発酵させて作った魚の醤油、いわゆる「魚醤(ぎょしょう)」のこと。魚醤の歴史は2000年以上前にさかのぼります。
まず、ローマ時代に、魚醤に似たガルムと呼ばれるものが登場しました。 ガルムが最初に発見されたのはギリシャの沈没船の灰の中でした。 ローマ帝国が崩壊したのち、残忍な海賊がガルムについてのすべてのレシピを燃やして破壊したため、ガルムはイタリアでは徐々に姿を消しました。 しかし幸いなことに、ガルムはローマの商人によってシルクロードを介して世界の他の国々へと交換・貿易され、ローマの最西端からインドの南海岸に沿って太平洋、そしてチャンパ大国へと伝わりました。
ベトナム人はチャンパ人にガルムを作る方法を学び、ベトナム人の生活の中で徐々に人気になったガルムは、魚醤(ヌクマム)と呼ばれるようになりました。東南アジアで魚醤を作っているのはベトナムだけではありません。 他の多くの国でも魚醤に似た魚製品や発酵塩があり、名前はそれぞれの場所によって異なります。
しかし、収集された歴史的証拠から、東南アジアではベトナムの魚醤が最初で最も古いものであることが確認できます。
「うま味」のもとになるグルタミン酸(アミノ酸の一種)を多く含むヌクマムは、日本での醤油と同様、あらゆるベトナム料理に使われます。野菜や魚、肉と組み合わせて調理することで、素材のうま味をいっそう引き出すほか、塩味、酸味を和らげる効果もあります。体に元気をくれるアミノ酸であるリジンやタウリン、各種のビタミンやミネラルなども豊富に含まれ、栄養的にも優れた万能調味料なのです。